生涯英語 〜ラーナーズサロン運営者のブログ〜

英語学習のコツや英会話に関すること、アメリカ文化について紹介していきます。

GoTo トラベルは文法的に間違っている!とツッコんだら負け

それは愚問である

GoTo Travelって英語として間違っているんじゃないか?という記事を朝日新聞が書いたみたいなので、まあ「英語の前に政策そのものが間違っている」という大多数のコメントはとりあえず置いておくとして、日本の英語文化について少し考えてみたい。日本人の伝統的な英語の扱い方を理解すれば、その問いがいかに愚問であるかがわかるだろう。

装飾としての英語

英語は日本人にとって長い間、ただの装飾であった。GoTo Travelという言葉がまかり通るくらいなので、今現在もそうだろう。装飾というのは文字通り、ただの飾りとして添えるものという意味であり、それ自体は特に意味を持たない。つまり、その単語にいかなる意味があろうと、その英語は「添えられている」だけなので、当の日本人は特にその文法的用法について追及することはほぼない。例えば英語がプリントされたTシャツや、英字新聞のようなデザインのラッピングペーパーなど英語がデザインの要素として用いられている場面は今日でもよく見る。そして多くの日本人は、それらの英語が実際どういう意味なのかということに興味がなく、ただ一つのデザインとして認識している。

日本人が知っている英語だと格上

GoTo Travelというこの奇妙な英語の誕生の裏にはそういう、日本人が英語を装飾品として扱う文化がまずある。そして英語の中でも、多くの日本人が知っている単語はさらにカッコいい、アピール力のあるものとして扱われる節がある。まあいわゆる、「なんでも横文字にするとカッコいい」という感覚である。そしてGoToトラベルに話を戻すが、たしかにコロナ禍において堂々と旅行することは何となく気が引けるという人は多い。この時期の旅行には思い切りが必要である。その思い切るニュアンスを、横文字にすることで得られるカッコよさで、なんとか補填しようとしたんじゃないだろうか。まあとにかく、堅苦しさが出ることは避けたかったのだろう。

「トラベル」でなければならない理由

GoTo Travelという言葉はまさに、英語だからカッコいいし、しかも誰が見ても意味がわかる、最高のネーミングということになる。もちろん英語がわかる日本人は、Go on a tripだろう!とツッコミたくなる。しかし、ツッコんだら負けなのだ。日本人向けのメッセージとしては、これは100点満点なのだから。

言わずもがな、これは日本人が英語を話せないがゆえに成り立つ構図である。楽天トラベルとか弾丸トラベルとか、日本人にはトラベルという言葉の方が馴染み深い。日本人の多くがGo on a tripという言葉を知っているとするなら、GoTo Travelという言葉は逆にアピール力に欠けることになる。Go to travel...? 旅行するために行く?どゆこと?という反応になるに違いない。トリップという単語よりトラベルという単語の方がより知れ渡っているというか、有名であるからこそ、そこはトラベルでなければならないのである。これは仕方がないことなのだろう。仮にトリップの方が日本人にとってよりわかりやすい単語であったなら、これはGoTo Tripとなり、英語の正しさで見るとまだいくらかマシな表現になっていただろうが。

 

英語話者は…

というわけで私の見解では、GoTo Travelもまた比較的「装飾的」な、雰囲気が伝わればOKというテキトーな英語の一種なのだが、もはや日本に長くいる英語話者などは、すでにこういう日本人の英語の使い方を一つの文化として認識していて、わざわざダメ出しをするつもりもないという人が多いと思う。

例えばYouTubeのAbroad in JapanというチャンネルはALTとして日本で暮らした経験を活かした情報発信を行なっているが、「英語話者から見たおかしな英語」に関しては、以下の動画にまとめられていて、英語がわかる人にとっては笑える内容となっているので、ぜひご覧いただきたい。

https://youtu.be/V347dTGZVl0

一つ一つの意味を問うことがもはや愚問であることを悟り、日本人の装飾的英語へのツッコミをやめた外国人は、彼一人ではないはずだ。

それにしても、普段気にしたこともないという人が意外と多いのではないだろうか。よく考えてみれば日本には「おかしな英語」があふれている。それも、おかしいのに、「カッコよさ」を帯びているという不思議な状況である。

 

こんな英語は「害悪」か?

GoTo Travelのような間違った英語ひいては和製英語は、中高生のような今英語を学習している人々にとって悪影響、という声もあるが、そもそも若者の方が数が少ない社会に向けたメッセージとして、年齢関係なくだれでも意味がわかるように英語を改変しなければならないというのは仕方ないといえば仕方ない。

和製英語をなくしていくことは、難しい。茨の道だ。赤ん坊の頃から人は和製英語に囲まれて生きている。高級マンションやタワーマンションは、マンションだからそのような形容詞とマッチするのであって、高級アパート、タワーアパートというのはどうも違う気がする。このような感覚がすっかり身についてしまっているのだから仕方ない。ただ日本語が母語であり、一から英語を学習した私は、英語を話すときには英語脳に切り替わっており、英語脳の中には和製英語が入っていないため、和製英語に悩まされるということはほぼない。私の頭の中では、マンションとmansionは全く別の言葉というわけだ。とにかく和製英語についてはまた後日書くとして、それはそういうものであり、英語圏の英語とは違うものなんだと区別して理解すればそれほど大きな問題ではない。中高生には、英語の先生が雑談タイムで適当に触れておけば十分だろう。

もちろん、GoTo Travelという言葉には改善の余地があると思う。英語を解さない日本人にとってカッコ良くても、解す日本人にとってダサいのはおそらく間違いない。しかし、時間はかかるだろうが、英語教育の推進によって、英語がわかる日本人はこれからどんどん増えていくだろう。英語のわかる人々が知恵を集めれば、今回のようなGoTo Travelより多少は文法的にマシで、かつ日本人に伝わる言い方を思いつくこともできるだろう。というわけで、彼らに期待するしかない。

 

まとめ

それにしても、GoTo Travelという言葉の文法的ミスについての記事がそこまで伸びるとは思わなかった。リツイートやいいね、ヤフコメの数が想像より多くて、少し驚いたのだ。日本人の英語に対する意識も徐々に高まってきているということだろうか。もちろん、「どうでもいい」「着眼点、そこ?」という声もそれなりに大きいから、そう一筋縄にはいかないだろうが… 愚問とは言ったが、英語学習者にとって、英語を見るたびにその用法に着目することは大事であり基本的なことであろう。英語は元々カッコいい言語である。素のカッコよさをより多くの日本人が理解する日が来ることを願う。